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歴史雑学・蘊蓄

旧任那地域で形象埴輪出土

 韓国では「当時は任那日本府という名称はなかった」という話を「任那日本府という機関は存在しなかった」という話にすり替えていますが、当時の中国の歴史書や日本の歴史書、そして考古学的な出土物を突き合わせると、全羅道地域を含む半島南部に、倭人の支配地域やそれに準じる機関があったことを、明確に示しています。前方後円墳という、日本独自の墓制が存在する以上、倭人が一定以上の力を持っていたのは確実です。円筒埴輪のみならず形象埴輪まで出てきましたか。
【韓国で形象埴輪出土 日本の祭礼伝わった可能性】日経新聞 【ソウル=共同】韓国南西部、全羅南道の咸平にある5世紀後半から6世紀前半に造られた古墳で、鶏などをかたどった形象埴輪(はにわ)の破片が出土したと、発掘に当たった地元の全南文化財研究所が26日までに明らかにした。 同研究所の依頼で破片の写真を見て確認した花園大の高橋克寿教授によると、韓国では円筒埴輪の出土例はあるが、形象埴輪の出土が確認されたことはない。北朝鮮領内で発見の情報もなく、朝鮮半島初の出土確認とみられる。 形象埴輪は葬送時の儀礼など古墳を巡る祭礼、祭祀(さいし)に関わる場面を表したと考えられており、日本で行われていた祭礼の形式や他界の観念が伝わっていた可能性があることを示す発見だと高橋教授は指摘している。 破片は「金山里方台形古墳」で見つかった。鶏の頭や首、羽の部分で、馬形と人形の埴輪の一部の可能性がある破片もあった。ほかに円筒埴輪や瓦形土器、中国由来の磁器も出土した。 
 例えば三国志魏書東夷伝韓条では、「韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり」とあります。今の韓国のような支配地域なら、東西南は海を限界とし……と言った表現になるでしょう。でも、南は倭と接していると、明言しています。縄文時代の昔から、福岡と釜山から、潜水漁労によって内耳に特有の骨の変形(内耳性骨腫)が見られる人骨が出土しています。言うまでもなく、潜水漁労は南方から北方に伝わったもので、縄文人の昔から、倭人は半島南岸に雑居していたわけで。 R 今回話題になった広開土王艦という艦名は、高句麗の好太王の別名。高句麗好太王碑でも有名ですが、その碑文には倭人が新羅や百済を武力で破って臣従させていたという、韓国にとっては都合が悪い内容が書かれています。高句麗は隋王朝の遠征も跳ね返した大国で、このため新羅と百済と任那は現在の忠清道・全羅道・慶尚道の地域まで追い詰められています。現在の韓国の60%ぐらいの地域に、さらに三ヶ国が存在したわけで。任那が存在しなくても、百済や新羅は現在の韓国のさらに4分の1程度の版図です。 R 日本は雄略天皇の頃には、熊本の江田船山古墳と埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣銘から、既に九州から関東に至る支配が確認できており、加えて四方を海で囲まれた日本は気温が安定して植生が豊かで、人口が多かったわけで。あの時代においては、動員できる人員は戦力を決定的に決めてしまいます。雄略天皇は宋王朝によって、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に叙されています。中国が半島南部の軍事的プレゼンスを認めていますから。
  • 2018.12.30 Sunday
  • 18:00

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  • 2019.08.26 Monday
  • 18:00
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