★土岐正造とその仲間が雑多な興味の対象について、好き勝手に書き散らすBlogです。
 
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回帰熱
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     江戸幕府の改革というのは、先進的なものもあったのですが、基本が年貢に偏った構造で、しかも「何事も権現様の仰せの通り」という復古的なものでしたから、享保の改革・寛政の改革・天保の改革と、後期になればなるほど期間が短く失敗に終わっています。後半の改革ほど保守的ですし。でも、こういう「過去は良かった」という考えは古代ギリシャや各地の神話を見ても、頻繁に見られます。韓国では、植民地近代化論を攻撃するあまり、李氏朝鮮や大韓帝国を美化しすぎた結果、無意識に回帰しようとしているのかもしれませんね。

    【傾く国運、「旧韓末」の様相】View Point

    国家革新で競わず観念論が横行

     国運が傾いている。3カ月間、この国は朴槿恵(パククネ)大統領弾劾審判で南と北に、嶺南と湖南に、進歩と保守に分裂し、世代対決まで起こった。太極旗部隊とろうそくデモにそれぞれ参加する親と子は互いに言葉も交わさない。それで滅びないのは珍しい。多くの人々は「韓民族の格別な底力のおかげだ」と楽観するが、それは錯覚だ。

     韓国人には朝鮮王朝のDNAが綿々と流れている。朝鮮の指導層は尚武精神と技術立国で国を強化することより、観念論と名分論に陥って、内部争いに多くの時間を費やしてきた。『朝鮮はなぜ崩れたのか』の著者・鄭ビョンソクは「高麗末、度重なる外からの侵入の影響で朝鮮初期には富国強兵策議論が多かったが、中期になり朝廷の官吏らは責任回避の次元から名分と義理を重視する画一的性理学に陥った。包容と統合の精神が消え、丙子胡乱(清の侵攻)で国を奪われた頃には政争はもっと深刻だった」と書いた。

     1592年から1636年までの44年間は韓民族の歴史では酷寒期だ。壬辰倭乱(文禄の役)から始まり丙子胡乱まで外国の侵略が相次いだ。清の侵攻中にもかかわらず、仁祖と朝廷官吏はどうでもいい主題で争っていた。彼らは仁祖の生母死後、それを三回忌とするか、一回忌が正しいか、14代宣祖が仁祖(16代)の父なのか祖父かのようなことをめぐって争っていた。 
     江戸時代というのは徳川家康が征夷大将軍となった1603年から、徳川慶喜が大政奉還した1868年までの265年間。日本的なものすべてを決定した太平の世ですが、今日まで通じる基礎ができたのが元禄時代(1688年から1704年)で、ひとつの完成型ができたのが化政時代(1804年から1830年)です。100年後ぐらいに基礎ができ、成熟するのにさらに100年ほど。ところが、李氏朝鮮は1392年から1910年と、日本では足利義満による南北朝合一の年、室町時代です。そこから戦国時代、安土桃山時代、江戸時代と過ぎて、明治時代も43という時期まで続いています。

    518年も続けば、文禄の役の頃は建国から200年、江戸時代なら化政文化の頃ですからね。そこからの黒船来襲の時期ぐらいを経て、半島では明治維新的な内部改革の動きが起きなかったのですから、記事の危機感はかつての知識人草の嘆きと同じでしょう。次期大統領候補最有力の文在寅氏は、慰安婦合意の破棄にTHAAD見直し、そして22兆6000億ウォン規模の不良債権の整理……つまり徳政令を予告しています。大衆迎合しているだけですから、昔はおもねる対象が王様で今は大衆というだけですね。
    【2017.03.18 Saturday 18:00】 author : 土岐正造
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      【2017.09.24 Sunday 18:00】 author : スポンサードリンク
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