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思想評論の・ような物

故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-2

「予言者、故郷に容(い)れられず」という言葉があります。新約聖書でイエスが故郷で「大工の息子が、なんだしゃんどえりゃあ偉そうなことぬかしおって、ちょうすいとりゃあせんきゃ?」と、拒絶されたことを言うのですが、これは孔子にしても故郷を亡命し、14年にも渡る流浪の生活を送ったわけですから、宗教家にしろ思想家にしろ芸術家にしろ、突出した自我と行動を起こそうという人間は、故郷にはじみづらいのでしょう。


さて、本題に戻って中島みゆきの『あぶな坂』です。
『あぶな坂』とは、いったい何のメタファー(隠喩)なのでしょうか? そして詞中の『あたし』とは? 勘の良い方は気づいてらっしゃるかもしれませんが、自分は
 あぶな坂=故郷と都会との境界線
 あたし=都会

のメタファーだと考えています。
 この詞で唄われているのは、1番の歌詞では明らかに「ふるさと→都会(あたし)」というルートをたどっています。遠い故郷で傷つき、あぶな坂を越えてきています。そして、怪我をした理由を「橋をこわした おまえのせい」と非難し、なじっているわけです。橋とはなんでしょうか? これも故郷と都会との境界線とも考えられますが、「あぶな坂=故郷と都会との境界線」というメタファーがすでに提示されているわけですから、もっと踏み込んで「故郷と自分の連続性」と、定義した方がよりイメージに近いのではないでしょうか。

都会の生活に疲れ、しかし自分を温かく迎えてくれるはずの故郷で拒絶され、精神的に傷ついた人間が、橋=故郷との連続性を壊した、あたし=都会を非難する、というメタファーだと解釈すると、かなりスッキリしませんか? ところが「あたし」の方から見ると、それは「言いわけに 坂を落ちてくるのが ここからは見える」訳です。

都会の否定。

それは、しばしば都会に住む田舎者の口から語られます。人情がない、冷たい人間関係。しかし、都会とは本来そんなものです。イヤ、人間関係が希薄だからこそ、都会は都会たり得るわけです。濃密な田舎の人間関係というのは、そこにどっぷりつかっていると楽な部分が多々あります。少なくとも、老人が死んで白骨化するまでほっておかれるような悲しい事態は少ないでしょう(0ではない)。ただ、それは同様にプライベートが無くなるという部分と引き替えにあるわけです。


 「隣の家に勝手に上がり込んで冷蔵庫の中野ジュースを飲むような関係」だからこそ、借金で困っていれば相談にも乗るし、晩飯のお裾分けやら、独居老人の家にこまめに訪問するという良い部分も成立するわけです。田舎の無神経さは濃厚な人間関係の裏返しであり、そういうプライベートを侵害される部分を我慢する、あるいは同化すれば、これほど住みやすい場所もないわけです。

もっと進めた考えると、故郷に錦を飾る、つまり一時帰国的な場合、故郷は温かく迎える(もちろん嫉妬や羨望も混じりながら)訳です。でも、故郷を捨てて都会に出て行った人間が、落ちぶれて帰ってきたら? 「遠いふるさとは おちぶれた男の名を 呼んでなどいないのが ここからは見える」わけです。ここ、そう都会の側からは、田舎のそういった排他性が見えるわけです。そして、都会でプチな成功もささやかな幸せを見つけられなかった人間は、帰るべき故郷に帰れない理由を、傷ついた言い訳同様に「都会の優しさ」になすりつけるわけですな。

人は、都会のきらびやかさ=赤い花に惹かれて、故郷を捨てて旅立ちます。まぁ、意外と都会はプチな成功やささやかな幸せを与えてもくれるのですが、そうでもなかったりします。田舎の窮屈さは田舎の良さと表裏一体であるように、都会の良さも悪さも、表裏一体であるわけです。それは鮮やかな赤い服に見えながらも、プチな成功もささやかな幸せも見つけられなかった敗北者を弔う喪服でもあるわけです。


 自分の個人的な経験をひとつ。昔、東京に住む従兄弟の奥さんが、田舎に住む旦那の義兄に、トレーナーを買ってプレゼントしてくれたことがありました。ところがそれは、当時はやっていたピンクのトレーナーだったのですが、ウチの田舎ではそれは着られない色な訳です。東京だとピンクだろうがラメだろうが、まぁ普通に着ていても言い訳ですが、田舎では漠然と、しかしハッキリと男が着るべき色というのが存在知るわけです。

これは色に限らず、東京ではモヒカンにしてようが鼻ピアスしていようが、駅の構内でディープキスしていようが、ほとんどの人は気にもとめない。でも、田舎ってのはこれらが全部不可な訳です。文化的に(笑)。田舎出身の人は、素直に首肯できるでしょうが。
  • 2004.05.17 Monday
  • 10:00

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  • 2019.11.12 Tuesday
  • 10:00
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Comment
[ 土岐正造 ] [2004/05/22 06:46] [ Myblog ] [ 削除 ]
>>kaguyaさん
北海道ってのは、ある意味近代になって形成された土地ですよね(まぁ、江戸時代から倭人が入植はしていましたが)。そういう場所から、なぜ彼女のような歌が生まれたのか。興味がある所ではあります。

自分の周囲の北海道人って、歴史的な部分でのアイヌとの共有願望みたいな所があります。「北海道の悲しい歴史とは・・・」みたいな。それってずいぶん安易な態度のような。実際は、アイヌの地を侵略した側なのに。自分も被害者のガワに回れば、気は楽でしょうが。中島みゆきの視点って、それを超えた所にあるのが凄いですが。


[ 土岐正造 ] [2004/05/22 06:38] [ Myblog ] [ 削除 ]
何やらみんな熱く語ってますな。よかよか。
>>motowotaさん
『呪い』はねぇ。それをやってる自分への客観視ができてれば、深みも出るんでしょうが。はっきり言って、奇を衒ってるだけ、ですな。インパクトがあるのは、それがストレートで分かり易いから。
最近の芥川賞や直木賞も、実に分かり易い(笑)。在日朝鮮人だったり、禁治産者だったり、年少帰りだったり、高校生デビュー作家だったり。そういうわかり易さを読者は求めていると思い込んでる編集は、山崎ハコが好きだったりするんだろうなぁ(偏見)。


[ kaguya ] [2004/05/21 16:46] [ Myblog ] [ 削除 ]
こんにちは 土岐さん
これ 拝見してから 中島みゆきさんの古いレコード発掘して(レコードだから いま聴けないんだけど)詞をず〜〜っと読んでました。

断崖〜親愛なる者へ〜には ずいぶん励まされました。
狼になりたい は お酒飲むと歌いたくなる歌(笑)

中島みゆきさん 大好きですが
土岐さんのような深い感じ方できないで ただ みゆきさんの世界に惹きこまれてました。
古いレコード聴きたいなぁ。 今度聴くと なんか違った感じ方できそうです。

ところで小谷美佐子さんって
「嘆きの雪」の 人ですか?


[ motowota ] [2004/05/21 12:46] [ Myblog ] [ 削除 ]
午後からオイソガシなので一言だけ。「猫の森には帰れない」の方が「呪い」より切ないですよね。
  • Doblogコメント移植
  • 2009/05/31 12:02 AM
非常に面白い解釈ですね。なんかすっきり来る解釈です。故郷に錦を飾れなかった人達へのレクイエムですね。そうもう帰る故郷はない。
  • satou
  • 2019/10/11 12:56 AM
中島みゆき様の作品は、エレーンなど故郷の喪失感や、家出など故郷から逃げ出す歌、ファイトのように故郷から出られない切なさを歌うモノが多いですね。
土岐さん こんばんは。みゆき様の故郷モノといえば「帰省」を忘れることが出来ません。故郷って何でしょうか?みゆき様にとって純粋だった若い頃に戻って襟を正すような場所なのでしょうか。あと「あんず村から」って作品も好きです。都会で苦労を重ねていても故郷の母からは誕生日だったねと知らせる暖かい便りが届くわけで。人って多くなるほど機械に見えてきて職場だって機械相手に言葉は要らない、スクランブルではたとえお年寄りがこけても避けて人は無言で過ぎてゆくだけ「帰省」より。辛辣な言葉にビックリ。この前東京に出ると電車で見ると誰もが無言でスマホのゲームやSNSの画面に見入っていたり・・・。さあみゆき様も70歳に近づきましたね お母さまの介護にいそしむみゆき様は若い折「傾斜」という「老婆」の歌を歌われましたが老境にさしかかった今 何を思われているのでしょうね。
  • satou
  • 2019/10/13 10:27 PM
ネットを見ていますと ふるさとといえば「ホームにて」が欠かせないとか 「異国」では ふるさとがなかったけど「EAST ASIA]
で ふるさとを見つけ出したとか講釈する人がいる。そういえば ふるさと関連では「五才のころ」「ひとり遊び」とか「海鳴り」「雪」とか思い出される。岩内での思い出とか故郷ってみゆき様にとって何だろうって「中島みゆきに於ける故郷の考察」って展開できるのでしょう。けれど自分は「EAST ASIA」の曲なり何なりをここちよく聴ける みゆき様の曲調・調べはほんとに涙が出そうに美しいと感じる それだけのことで意味なんてあるのかしらんと思ってしまいます。
  • satou
  • 2019/10/15 4:28 AM
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