★土岐正造とその仲間が雑多な興味の対象について、好き勝手に書き散らすBlogです。
 
興福寺中金堂が301年ぶり再建
0
      仮の中金堂でも建立が1819年ですから、2百年弱の歴史があったわけで、充分に凄いですけどね。実際、江戸時代の1741年に建立された南円堂も、重要文化財ですし。こういう文化財は、再建したモノに価値がないようなことを言う人もいますが、例えば再建したモノであっても、歴史というのはそうやって、数百年レベルで考えていくモノ。数百年後には立派な国宝候補。法隆寺に至っては、607年の建立ですが670年に全焼したのがほぼ確実で、コチラも再建。でも、今となっては世界的な文化財。
    【興福寺の「中金堂」301年ぶり再建 落慶法要に3千人】朝日新聞  奈良市の興福寺(多川俊映貫首〈たがわしゅんえいかんす〉)で、中核施設の中金堂(ちゅうこんどう)が301年ぶりに再建されたことを祝う落慶法要が7日、約3千人が出席して営まれた。法要は11日まで5日間続き、計約1万4千人が参列する見込み。  法要は午前10時に始まった。祝いの能楽「翁(おきな)」などに続き、ハスの花びらをかたどった紙片「散華(さんげ)」が、中金堂や隣接する五重塔の屋根からまかれた。多川貫首が完成を諸仏に告げる奉告(ぶこく)文を読み上げた後、東大寺の狹川普文(さがわふもん)別当がお祝いの言葉を述べた。  中金堂は東西37メートル、南北23メートル、高さ21メートルで、同じ奈良市の平城宮跡に復元された宮殿施設、第1次大極殿とほぼ同じ規模。奈良では江戸時代に再建された東大寺大仏殿(東西57メートル、南北50・5メートル、高さ46メートル)に次ぐ大きさの木造建築だ。中金堂の本尊は1811年に造られた釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)。その周りに国宝の四天王像(13世紀)などが立つ。 
    続きを読む >>
    【2018.10.08 Monday 21:00】 author : 土岐正造
    | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(1) | trackbacks(0) |
    古朝鮮文明は黄河文明より古い?
    0
       ソウル大学名誉教授って、日本なら東大名誉教授みたいなポジション。半島では長らく、中華文明に事大し、いかに中国に近いかがアイデンティティで有り、それで日本を蛮族と見下していたわけですが。だから、日本では奈良時代に萌芽あり、平安時代には仮名による文学が花開いたのに、半島では独自の文字の訓民正音を制定したのが1446年と、500年以上遅れることに。ところが近代以降の民族自決・自尊自立の意識が台頭すると、漢字を捨ててハングルだけになるなど、極端な方向に。この珍説も、コンプレックスの裏返し。

      【韓国学者「古朝鮮文明は黄河文明より先」、中国人「また始まった!」】recordchina


      2018年8月8日、中国メディア・環球網によると、ソウル大学のシン・ヨンハ名誉教授はこのほど、2010年出版の「古朝鮮国家形成の社会史」、2017年出版の「韓国民族起源と形成研究」に続く3部作最後の書籍「古朝鮮文明の社会史」を出版。この中でシン教授は「古朝鮮文明は黄河文明よりも早かった」と主張している。

      シン教授の研究では、「古朝鮮文明の起源を紀元前30世紀ごろの大同江流域と遼東地域」としている。「氷河期が終わった後の1万2000年前、北緯40度以下の古朝鮮半島に世界で最も早く農耕文化が出現。新石器時代の農業革命により人口が増え、一部の人々は北方に移住した。遼河以東に達した人々が穢(ワイ)族となり、遼河以西に達した人々が貊(ハク)族となった。5000年前に異常気象が続いたことで遼西地域の貊族が東南へ移住。大同江流域で韓族と結合し、青銅器文化を基礎とする古朝鮮が成立した。そして、1000年後に首都を遼東へと移し、穢族を吸収。東西に領土を拡大し、朝鮮半島、満州、沿海を覆う古代連邦国家を成立させた」としている。  
      続きを読む >>
      【2018.08.09 Thursday 18:00】 author : 土岐正造
      | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
      歴史を学ぶ・歴史に学ぶ
      0
         呉座勇一先生は普通のことを言ってるのですが、ちょっと煽情的なタイトルですね。そもそも、東洋史の父とも言える司馬遷の史記でさえ、始皇帝の出自やその遺言について、怪しげな物語を収録しています。歴史はランダムな偶然の繰り返しの結果で有り、そこに必然性やある種の物語を読み取るのは、史観という名の恣意的行為。もちろん、時代劇漫画の原作者である自分は、そこをやる側の人間なんですが。大河ドラマを史実と勘違いする人間を毛嫌いしても、陰謀論にハマる人間を馬鹿にしても、事態は変わりません。

        【「歴史に学ぶくらいならワンピースを」日本史学者・呉座勇一の警告】with news


         「本能寺の変」や「関ケ原の戦い」などを巡り、世にはびこる様々な陰謀論や俗説を、専門家の視点から“ガチ検証”した『陰謀の日本中世史』(角川新書)が11万部のベストセラーになっている。著者で日本史学者の呉座勇一さんは「歴史『を』ではなく、歴史『に』学ぶのは危険」と訴えます。「『物語』が欲しいなら、ワンピースやスラムダンクを読んで」とも。呉座さんが恐れる歴史の学び方とは?(朝日新聞文化くらし報道部記者・高久潤)

        学会で相手にされない陰謀論

        ――武士が政治の表舞台に出てくる保元の乱を皮切りに、織田信長が死去する本能寺の変、そして関ケ原の戦いと、誰もが聞いたことがある中世の歴史を「陰謀」という切り口で考えたのはなぜですか

         「本能寺の変に黒幕がいた、坂本龍馬暗殺に黒幕がいた、といった『陰謀論』は世の中では関心は高いですが、学界で相手にする人はほとんどいない。日本史に陰謀がたくさんあったのは事実ですが、こうした黒幕説が成り立つことはない、というのが学界の常識です」 
        続きを読む >>
        【2018.08.06 Monday 20:00】 author : 土岐正造
        | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
        両陛下が天蚕の繭を収穫
        0
           朝日新聞的には明治時代からの伝統ということをさりげなく強調して、そんなに古い伝統ではないと言いたいのでしょうが。明治維新からでさえ、もう150年です。皇室の養蚕は昭憲皇太后が明治四年(1871年)から始められたとのことで、もうすぐ150年とならんとする伝統。1879年創業の朝日新聞より伝統がある訳で。そもそも、稲作に養蚕は柳田国男が言う常民の生活を表すモノですし、明治時代に絹糸ぐらいしか輸出品がなかった日本の、当時の時代背景も表しています。皇室が率先垂範して養蚕を奨励したわけで。

          【両陛下、天蚕の繭を収穫】朝日新聞


           天皇、皇后両陛下は12日、皇居の野蚕(やさん)室で、「天蚕(てんさん)(ヤママユ)」の繭を収穫した。皇后さまが毎年取り組んできた養蚕の作業の一環で、この日で全ての作業を終えた。来年の代替わり後は新皇后となる雅子さまが引き継ぐ。

           両陛下はクヌギの葉についた緑色の繭を、ハサミで枝ごと収穫。背丈よりも高い枝にも手を伸ばし、約20分間、繭を集めた。養蚕は歴代皇后が受け継ぐ役目だが、天蚕の繭の収穫は、天皇陛下もほぼ毎年一緒に楽しんでいるという。

           皇室の養蚕は明治時代からの伝統で、皇后さまは1990(平成2)年に香淳皇后から引き継いだ。在来種「小石丸」の繭からできる糸は様々な文化財の復元に役立てられ、今年収穫された繭も15キロを糸にして正倉院に贈り、「螺鈿(らでん)紫檀(したんの)五絃(ごげん)琵琶」という楽器の弦の復元に使われるという。 
          続きを読む >>
          【2018.07.14 Saturday 23:00】 author : 土岐正造
          | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
          国産ジェットエンジンXF9-1の意味
          0
             IHIの開発した、国産ジェットエンジンのXF9-1ですが、その意味と世界の航空産業におけるポジションを概観しており、非常に良い記事です。備忘録も兼ねて、残しておきたいので、以前にもXF9-1については書きましたが、もう一度。日本はエンジンが昔からダメで、名機と讃えられた零戦もそれは同じ。航続距離と機動力は高くても、大パワーが出せないので、そこを見破られたら簡単に倒されるようになった訳で。SFXの頃も、石原慎太郎氏が噴き上がろうとも、日本には国産エンジンを開発する地力はなかったのが実情です。

            【ついに日の目見た世界最高水準の国産ジェットエンジン】毎日新聞


             6月29日にIHIより防衛装備庁に「XF9-1」という戦闘機用エンジンが納入された。

             XF9-1は試作エンジンであるとはいえ、推力は15トンを超える。米国の「F-15」やロシアの「Su-35」といった世界の一線で活躍する戦闘機のエンジンと同等以上の出力を持つ。

             これまで、日本は一流の戦闘機用エンジンを自力で開発できなかった。

             FSX問題で日本が強く出ることができなかった要因の一つが、自力ではどうしてもエンジンを開発できる目処が立たず、米国に頼らざるを得なかったことであった。

             戦後70年以上できなかったことが、ようやくできた。日本の航空産業史上、画期的なことである。 
            続きを読む >>
            【2018.07.13 Friday 21:00】 author : 土岐正造
            | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
            時をかける少女・金福得さん死去
            0
               今年101歳と言うことは、中曽根康弘大勲位より一歳上の1917年の生まれでしょうか? 韓国では今でも数え年が一般的ですが。数え年なら中曽根大勲位と同い年の生まれの可能性も。22歳の時にフィリピンに騙されて連れて行かれたとなると、1939年か1940年ですか。日本軍が真珠湾攻撃を行ってアメリカと開戦したのが1941年12月8日で、アメリカの植民地であったフィリピンのルソン島に上陸したのが12月10日で、翌年前半で全地域を占領。韓国を代表する通信社ですら、この体たらくです。歴史を忘れた民族に未来はないそうですよ?

              【慰安婦被害者が死去 生存者27人に=韓国】聯合ニュース日本語版


              【統営聯合ニュース】旧日本軍の慰安婦被害者のキム・ボクドゥクさんが1日死去した。101歳だった。被害者を支援する市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が発表した。

               キムさんは22歳のときに、工場に就職させるとの言葉にだまされフィリピンなどに連れていかれ慰安婦としての生活を強いられた。1994年に慰安婦被害者として韓国政府に登録され、国内外で被害を伝える活動を積極的に続けてきた。慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」をうたった2015年末の韓日合意により精神的、物理的損害を受けたとして、被害者らが韓国政府に賠償を求めた訴訟には原告として参加した。 
              続きを読む >>
              【2018.07.02 Monday 18:00】 author : 土岐正造
              | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
              国宝・山鳥毛の価値
              0
                 柳家小さん師匠が人間国宝になったときの落語家のギャグで、これが陶芸家だと作品の値段が10倍になるが落語家は独演会のチケットを10倍にする訳にもいかない……というものがありましたが。陶芸家や刀匠の作品は、やっぱり天井知らずで作品が高くなる印象ですが、逆に値段の設定はわからんです。絵画も、そこは同じですが。10億の作品と20億の作品に機能的な差は無く、だいたいが来歴が大事。同じ茶碗でも、信長が使用すれば跳ね上がり、それが秀吉から家康に渡ったとなれば、国宝の中でも格が上がる訳で。

                【謙信の備前刀「山鳥毛」は5億円以上 評価委が提示】朝日新聞


                 戦国武将・上杉謙信や上杉景勝の愛刀とされる備前刀の国宝「太刀 無銘一文字」(愛称・山鳥毛(さんちょうもう))について、岡山県瀬戸内市が設置した専門家の組織は19日までに評価額を「5億円以上の価値を有する」と結論づけた。所有者が示した売買価格は「5億円」だった。

                 刀の購入を検討する市が19日、市議会の総務文教常任委員会に対し、専門家組織「山鳥毛購入における瀬戸内市外部評価委員会」(委員長=臼井洋輔・県文化振興審議会長)の「意見書」を示した。委員会が東南信行・市教育長に15日付で出した「意見書」で、それによると、委員会は6月に2回、開かれた。

                 その結果、委員会は、山鳥毛が瀬戸内市長船町を拠点にした「福岡一文字派」の技による名刀で、市が購入することで「教育文化的価値や観光といった産業活動への影響など、波及効果も含めて総合的に評価した結果、5億円以上の価値を有する」と結論づけた。「こうした国宝が市場で入手できる機会は極めてまれ」とも記した。 
                続きを読む >>
                【2018.06.24 Sunday 19:00】 author : 土岐正造
                | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
                弥勒寺址石塔の真実
                0
                   半島では高麗王朝が1392年に滅びて、李成桂によって李氏朝鮮が建国されます。仏教が国教であった高麗王朝に対して、李氏朝鮮は儒教を国教として、崇儒廃仏政策で仏教を弾圧します。高麗王朝時代は1万以上あった寺院が、三代目国王の頃には242寺院に減らされ、四代目国王の頃には18寺院まで減らされます。僧侶は賤民の身分とされ、首都漢城に入ることは許されず、金銅仏は鋳つぶされ、石仏は首を落として破壊され、木仏は燃料に。日本に多くの仏像や仏典が難を逃れて渡ってきました。それを前提にこの記事は読むべきですけどね。

                  【日本が覆ったコンクリートはがしに20年、弥勒寺址石塔の修理完了 /益山】朝鮮日報日本語版


                   「東アジア最大規模の石塔」として知られる全羅北道益山市の弥勒寺址石塔(国宝第11号)が、20年にわたる修理作業を終えて20日、姿を現した=写真左=。西暦639年(百済武王40年)に建立された弥勒寺址石塔は、西側が一部崩れてコンクリートで補修された状態で残っていたが、1998年から修理作業に入っていた。右の写真は解体直前の2001年に撮影されたもので、後に部材をすべて解体・洗浄した。もともとこの塔は9重だったと推定されているが、無理な推測・復元を避けるため、塔が最後にとどめていた形態である6重まで復元した。復元された塔は高さ14.5メートル、幅12.5メートル、重さ1830トンで、今年12月に一般公開される。 
                  続きを読む >>
                  【2018.06.23 Saturday 18:00】 author : 土岐正造
                  | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  モアイが歩く
                  0
                     イースター島には、モアイが歩いたという伝説があったそうです。で、実際にやってみたら少人数で何トンもあるモアイ像が動かせたと。欧米人は自分達以外の民族や人種は劣っていると勝手に思い込んでいるため、ナスカの地上絵やイースター島のモアイを、原住民が作れるはずがないと思い込み、宇宙人が作ったと思い込んでいるわけで。でも、現実には文明ごとに得意と不得意があって、イースター島の住民はこういう巨大像作りとその運搬や設置に、多大なノウハウを蓄積していたわけで。

                    【モアイ像の帽子はどうやって設置されたのか?】GIGAZINE


                    イースター島のモアイ像の中には「プカオ」と呼ばれる巨大な赤い石を帽子のようにかぶったものがあります。プカオは最大で12トンもの重量があり、モアイ像を作った後に頭の上にのせるのは至難の業であったと考えられていることから、イースター島の謎の1つとされてきました。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校で人類学の教授を務めるカール・リポ氏らの研究チームは、これまで謎とされていたプカオの運搬方法を解き明かすことに成功したそうです。

                    The colossal hats (pukao) of monumental statues on Rapa Nui (Easter Island, Chile): Analyses of pukao variability, transport, and emplacement
                    https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S030544031830195X

                    The Mystery of How Easter Island Statues Got Their Colossal Hats Might Finally Be Solved
                    https://www.sciencealert.com/we-finally-know-how-easter-island-statues-got-colossal-headwear-moai-pukao-hats-parbuckling 
                    続きを読む >>
                    【2018.06.09 Saturday 23:00】 author : 土岐正造
                    | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    鎌倉時代と刀剣黄金期
                    0
                       鎌倉時代は、日本刀の黎明期と言えば黎明期。伝説の刀匠に天国などいますが、平安末に生まれて、鎌倉時代に頂点を迎えた訳で。蝦夷の蕨手刀や、藤原秀郷の毛抜型太刀とかがルーツですが、鎬作りがまだ完成していません。最初期の在銘の刀匠である平安末期の三条宗近が、天下五剣に数えられていることからも、比較的短期間(といっても200年ぐらいですが)で技術的にはピークに達した部分があります。ここら辺は、ヴァイオリンの初期のストラディバリウスが名機とされるのに似ていますね。

                      【【鎌倉時代は刀の黄金期だった!?】鍛冶が栄えた理由と刀工たち】歴史マガジン


                      日本刀といえば、刀での戦闘が盛んだった戦国時代や幕末が連想されますが、実は「刀の黄金期」と呼ばれているのは、それよりも遠い昔の鎌倉時代のことです。
                      今回は、鎌倉時代に日本刀が栄えた理由や、著名な流派と刀工についてご紹介していきます。

                      鎌倉時代に刀鍛冶が栄えた理由

                      日本書紀の時代から存在していた刀鍛冶。鎌倉時代に大きく栄えた背景には、いくつかの政治的な理由があったようです。 
                      【2018.06.08 Friday 23:50】 author : 土岐正造
                      | 歴史雑学・蘊蓄 | comments(0) | trackbacks(0) |
                      Amazonプライム Amazonプライム会員なら、人気の映画やTV番組が年会費3900円(税込)で見放題! Amazonプライム